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2007年6月

2007年6月22日 (金)

やないけいロビーコンサート♪

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6/21、糟屋郡にある、ホールをメインとした多目的施設そぴあ新宮のロビーコンサートに出演。
今回のような税金でまかなわれているホールのステージにはたいていある、漫才なんかでよくみかけるSONYの四角いマイクを使って、拡声させてもらった。
このマイクのおかげで、歌は、聞いて下さっていた人々に、そよ風のように吹き抜け、夕焼けのように僕らを赤く、温かく包み込んでくれた‥‥、とぼくはこのマイクを使ったことで、勝手な妄想をする。
音響の方は、「あるもんしかなくて‥。」と、頭をかいてらっしゃったが、それは望んでいたそのものだった。
何ももういらない幸福感を味わえた。
今回のステージでは、曲の解説やエピソードを話させて頂きながら演奏をした。
話の中では、親父や祖母を登場させた。
この二人は今回歌った曲のいくつかに、深く関わっていたから。
僕は今回歌を歌うために来て、歌を通して人々に家族の話が出来たことをありがたく思う。
また、あの一時がとても豊かな一時であったことを、うれしく思うのである。
そう感じたことを報告しておく。
施設のみなさん、聴きに 来て下さったみなさん、若松さん、ありがとうございやした!
【やないけいそぴあロビーコンサートプログラム】
1.いろんな形のうた
2.葱を切るうた
3.狭い暗い地下へ続く階段をぼくはおそるおそる覗き込むうた
4.草刈り機で草を刈る小賀さんのうた
5.手持ち無沙汰のうた
6.ひまわりのうた
7.祖母の言葉
8.(新曲)

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2007年6月19日 (火)

豊田勇造さん35周年ライヴ

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豊田勇造さんが7月13日に博多エキマエ音舗に来福します!!

歌いだして、今年で35周年だそうだ!

少し前にハーモニカホルダの話をブログでしました。その時に豊田勇造さんの事を話させてもらっているので、読んでください!

しかし歌百聞は一見に如かずだ!また詳しくわかったらお知らせをします。

ぼくは、見に行く。新しくこしらえたハーモニカホルダを持って!この文章を読んでくださっとるみなさん、一緒に本物を見にいこう!すごいよ!。

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2007年6月17日 (日)

木の逆襲

Photo_82今日は 北九州へ、例の別荘修繕へまたまた参上。

そしてハプニング発生。

作業中、切った枝が電線を直撃!

汗びっしょりでなんとかばらしてこの日は終了。

大事にはいたらず。

‥雨降りませんなあ。

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2007年6月 9日 (土)

さとしくんと空也像と高石さんと京都

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大阪ライヴの翌日からの2日間、僕は京都の街ですごした。
そして京都最後の日、友達がみせたいものがあると云って車で京都の五条へつれていってくれることに。
着いた場所は、六波羅蜜寺というお寺だった。
そして展示室のようなところに入るとそこにあの教科書にも載っている有名な「空也上人像」があった。
体阿弥陀仏と波唱えた空也の口から6の阿弥陀がでている奇跡の瞬間を表した像だ。
「‥やないくんが歌っている時に似てるとおもってん。」
と友達は言った。
僕は空也を見詰めて何も言えなくなった。
像を凝視したまま言葉がでなくなった。
結局、何も感想をいえないまま、また車に乗り、京都駅に向かい、
僕は友人達と別れた。
Photo_80 新幹線に乗る前に、ちょうどその日は高石ともやさんが駅前で歌の12時間マラソン(宵々コンサート前のイベント)をしていたのでちょっとみてみようという気持ちでそこへ向かった。
ひとだかりの中で、満面の笑顔で、ひとりで、その人はうたっていた。
もう70歳近くにもなるというのに飛び跳ねてうたっていた。
友人の歌を、山のうたを、京都のうたを、ある中学校の為につくった校歌を、お葬式のうたを笑顔で。
僕はとうとうもう我慢ができなくなって泣いてしまった。
人目を気にする余裕はもうなく
涙がでて止まらなかった。
ここからはぼくが勝手に五条の寺で思っていたこと。
… 小学校五年生の終わりに、ぼくは山の学校から町の学校へ転校した。
絶対に転校したくなかった。転校なんかはテレビの中だけのことで、現実には有り得ないことだった。
ましてや、自分になんか。…親の力は強い。どうすることも出来ない。
…学校では、三学期の終業式と同時に、ぼくと弟の、転校のお別れ会もしてくれた。
ぼくは泣きたかった。大声でみんなと離れたくないと言って泣きたかった。こんなことがあってたまるかと、みんなに聞いてもらって、転校をやめさせてほしかった。
だけど、ぼくは泣かなかった。力いっぱいこらえた。
なぜなら僕たち二人がみんなの前に立たされて、あいさつをしている時、ぼくの真ん前に立っていたさとし君が、声を上げて泣き出していたから。一滴もぼくは涙をこぼさなかった。さとし君は、まるでぼくのかわりに泣いてくれた。さとし君はまるで、ぼくの心の鏡だった。
…これはぼくが五条の寺でかってに思っていたこと。
…ぼくは、この世に生まれて、一体何をしようとしているのかを、その友達は教えてくれて、気付かせてくれた。
偶然かどうかとか、もうわからなくて、驚いて泣きそうになるのを、もうこらえることしか出来なかった。
五年生の時のとても苦しい一時が再び起きていた。弥生ちゃんが教えてくれた、ぼくの鏡は、以前見た教科書に載っていて、何度もその立像の写真を凝視していたことがある。それを見られた。それだけでもう凄いのに、ぼくみたいだって言われた。
ありがたいことが起こっていて、それに対する素直な体の反応を我慢した。我慢することは、大変だけれど、我慢したかったからしょうがない。
そのあと、もうひとつぼくの鏡がいた。高石友也さんだ。一日に、さとし君が二人分出て来たので、もうダメだった。
涙が出て、止まらなかった。我慢がとけた。人を気にすることより、涙が出てしまった。

さとし君も、空也の立像も、高石友也さんも、ぼくの鏡だった。けど、ぼくではなかった。ぼくの心の中の出来事が、あの寺で、ぼくから飛び出ていた。あり がたいことが、おこっていた。
ぼくはすばらしい体験をした。すごい。
…これはぼくが五条 の寺で勝手におもったこと。
わかりにくい長ったらしい文章ですんません。
あの像は歌っているとおもった。さとし君はぼくが泣きたかったかわりの姿で、像は、ぼくの今の理想の姿。
さとし君が泣いてくれたので、あの時ぼくは泣いてはいけないようにおもった。
あの像のような事を、ぼくは起こさせることができるのかと思った。
してはいけないような気がしてね。こんな大変なことをね。
高石友也さんは、それをやっていた。ぼくがやっているのと同じ方法で!だから、ぼくも出来ると思った。
ぼくは泣くし、歌う!
また近々うたいにいきます!ありあまる光栄です。
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2007年6月 8日 (金)

6/1の大阪

大阪駅をでると馬鹿でかい何とかカメラ。

そこで、ISO1600のネガフィルムを購入したけどつかわなかった。そのフィルムで、僕が演奏しているのを撮ってくれるはずだった人が間に合わなかったから。

その会場は、梅田何とかいうツインタワーで、上のほうに渡り廊下のある、どっかのテレビ局の本社のような建物のすぐ近所にあった。楽屋に案内されて、外をみると線路と停車中の貨物列車。その何本もある線路のひろいぐじゃぐじゃした向こうに、さっき降りた駅と、何とかカメラがみえた。それが窓ワクの左端。右端は高層ビルがちらほら。会場の中は木が結構つかわれていて、ぼくごのみであった。

20分の演奏の中で、おさまらなかったので、多分すこし超過に反省。いいライブだった。他の出演者は、みんな穏やかに、緩やかに楽しんでいたようにおもう。

もしかして、オレだけか、何が?、何でしょうか、みんな違ってみんないい。

大阪にはこの歌をうたうために行った。題名はまだない。

『それは  待ち続けている最中の もどかしい時のように

 それは  悔い改めている最中の もどかしい時のように

 いつまでも 続くようだと 思っても 思わなくても

 やがて  うたっている 最中の すばらしい この瞬間となる

 いつまでも おなじことだけを 続けても  続けなくても

 やがて  うたっている この最中の すばらしい瞬間となり

 それは やり遂げようとする時の すばらしい この瞬間となる』

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2007年6月 1日 (金)

出発!大阪~京都へ!

さあIxt いってきます!

やったるで。

ライヴの模様は後日!!

今回の梅田シャングリラでのライヴでは限定CD-Rを¥500で販売します。

こちらもおたのしみに!

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