ハーモニカホルダーを追い求める理由
あこがれの人が使っている物
ぼくの物への執着は、異常なまであるかもしれない。夢中になるし、とてもわくわくするし、ほしいものを手に入れたい願いと、探している途中の様々な別の発見などが、実に面白いのである。
ぼくがほしい物は、どんなものであるか?それはあこがれからきている。あこがれの人物が使っている物。あこがれの人が、これだ!と思って選び、その後愛用し続けている物に、ぼくはすごく魅力を感じる。大切なところは、あこがれの人が使っている物を片っ端からシラミツブシする感じではなく、愛用している感じがにじみ出ている物に惹かれるのである。そして、「それを自分も使いこなせたならば、その人に近づくことができるかもしれない!」と勝手に感じて勝手にほしがる。そこにぼくの、男のロマンがある。
きっかけは勝手な解釈!
そもそものはじまりは、あこがれのミュージシャン、ボブ・ディランがきっかけである。彼が1960年代に一人ぼっちでステージに上がって観客を静まり返らせている頃に使っているギターが、何なのか知りたくて調べだしたのがはじまりである。
ひょうたん型の小ぶりのナチュラル仕上げのギターを、腕がネックと平行になるくらいに、ボディのほぼサイドの付け根から抱え込んで手首でかきならす奏法にしびれたのがきっかけである。
小ぶりなので高い位置でかるって抱え込むと、真横から腕を突き出してもホール付近まで手が届くのである。
何より、ギターとボブとの一体感が感じられた。一人ぼっちでステージに上がるのではなく、ぼくは、ボブがギターと一緒に上がっている感じがとてもした。
ハーモニカも忘れてはならない。ハーモニカは、首からさげるホールダーに着けられており、ぼくにはお守りの首飾りのように見えてしまう。ハーモニカホールダーは、演奏以外には当然首に下げることはないわけで、ステージのみにさげるお守りのような感じがする。「これがあれば、おれは何も怖くない」のである。これはすごいぞと思った。
ボブはギターやハーモニカと共に、息ぴったりの最高のひと時を楽しみ、観客を感動させるのである。なんというすごいことだ!
この勝手な解釈を自分に反映させたら、とても面白いだろうと思ってしまったのである。
ボブのギター
このボブのギターを自分なりに調べた。調べていくうちに、到底手に入らないものだとわかった。それで勿論あきらめることとなるのだが、とても面白いことがわかった。
このギターは1930年代製で、1960年代当時から計算しても30年物のヴィンテージギターだったのである。
しかも、初のシグネイチャーモデルとして作られたタイプだという。シグネイチャーモデルとは、ミュージシャンの名前がついていて、そのミュージシャンが特注、または共同開発などをしたものを反映させて同人をたたえて商品とするモデルであると解釈しているが、これはそのはしりなのだ。いわゆる特別仕様である。が、このボブのギターは、後に細工を加えて改造しているらしく、トップがナチュラル仕上げなのは、後に仕上げ直したものらしい。ピックガードも同様、おそらくその後からつけられたものらしい。
なぜこのような変更を加えたのかは謎であるが、改造されたギターと同じタイプの物など手に入れることなど、自分も同じ経緯で改造する以外に不可能であるではないか。もうどうもしようがない。これは、なんとかっこいいことなのか!このようなニュアンスにぼくはたまらなさを感じる。面白いっ!
ギターの修理専門店でこのギターは何だ?という質問をしたことがある。が、「わからない」と即答だった。忙しそうなタイミングで質問をしたので、彼は若造にうてあう暇がないという気持ちでそう返事していたのかと思っていたが、今考えてみると、厳密にはわからなかったのだ。なるほどと今になって思う。
このギターのエピソードの中で、彼がヴィンテージギターを愛用していたところにぼくは最も刺激された。
ぼくは、自分がぐっと来る音の出るギターをほしいと思った結果、7、8年前、ヴィンテージギターを持つことにした。ヴィンテージギターといっても、悪く言えば中古だ。古ければ古いほど、誰が使っていたかも、どこで使われていたかも、見当もつかない。しかし、前に使っていた人によって育まれた音が、ぼくを捉えたのだ。本当に求めていたものを手に入れた実感を、ボブのギターをヒントにできたことを勝手に光栄に思うのである。そして、このギターを手に入れたことは、この音を受け継ぐという作業をしていくということや、さらにより深い音を育ませていく作業を自分がするのだという力がみなぎりを与えてくれたのだ。そしてそれは現在進行している。
アクセサリー
ぼくは、首飾りや指輪、腕輪、ピアスなどのアクセサリーには興味がない。
だが、ハーモニカホールダーは自分にとっての価値あるアクセサリーだと思う。きっかけは、先ほど述べた、ボブの初期の演奏スタイルの心境を勝手に解釈したところからはじまっている。
ぼくはステージに上がるときは勿論緊張もするし、多少ドキドキする。が、犬と猿とキジのように、ギターとハーモニカと、ハーモニカを手ぶらで吹くことのできるハーモニカホールダーをお供に上がれば、それは向かうところ敵なしとなる。なんといっても、一人ぼっちのぼくに大勢の中の一人一人が向き合ってくれることのできる、魔法の道具なのであるから、楽しくてしょうがなくなる。
この3つの道具は、自分を歌と演奏で表現するための道具であり、これらは特別なアクセサリーと言うこともできる。ギターに関しては、音にこだわり、ヴィンテージを手に入れた。ハーモニカは、10ホールズの代名詞というべき物を使用している。
3つ目に入れているハーモニカホールダーにもこだわった。と言うよりぼくは、ハーモニカホールダーに一番こだわってしまった。
ハーモニカホールダーにはいくつかのサイズがあり、それは、ハーモニカのサイズに合わせて作られていると言える。大きなハーモニカが装着できるホールダーは、それより小さいサイズの物は当然装着可能である。たいてい10ホールズの小さいハーモニカをホールダー装着で演奏するプレイヤーが多いが、ホールダーのサイズは10ホールズが有り余るほどの大きな物もよく売ってある。
ハーモニカホールダーに対するあこがれは、ボブにさかのぼる。ボブの使うホールダーこそ、なにかアメリカの揺るぎないステイタスを象徴するアイテムなのでは?と空想し、したためていた。
その後ぼくは、二ール・ヤングの使用を知り、日本では岡林信康の使用を知り、どんどん興奮が上り詰め、それについて調べていくことになるのである。
エルトン ハーモニカホールダー
インターネットが、とうとう「あこがれ」を突き止めた!性格には、インターネットの力を借りざるを得ない残念な気持ちで挑んだ。なぜなら、パソコンは嫌いだからである。と言うものの、このあこがれを探すのに、20年は経過しているのだから、これでなければお蔵入りと思った。
しかし、これまでの調査の奮闘もしてきた。実物見ることができた二である。お目にかかったのは偶然であったが、それは4,5年前のことである。(このことは、本ブログのカテゴリーのハーモニカホールダーで述べている)やっとここまでたどり着くことができたと思って大興奮である。が、所有者本人がメーカー名を覚えておらず、手がかりはその形や使っている他のミュージシャンからの情報であった。
インターネットでヒットした検索キーワードは、
「ヴィンテージ」!
ハーモニカホールダーごときにヴィンテージなどあるはずがないだろうと思いつつも、これを付け加えてみた。
いくつか少ない結果の中から、Elton と言う文字があり、これを突き止めたときはうれしかった。
いろいろみていくうちに、このメーカーは、上図のようなハーモニカの音を大きくするメガホンのようなハーモニカ用アクセサリーの会社だったようだ。音響設備などなかった時代の、今じゃすたれて当たり前のような、すごく懐かしい代物と言った雰囲気である。かなりうなずける資料を発見できた。
こちらの上記の2タイプのホールダーが首かけのタイプである。やっとたどり着いたときは、泣けた。泣いた!
上写真は、ホールダーを上から見たところであるが、上部が短い幅で折れ曲がっている。これによってハーモニカを挟む受け板部分からはみ出すような長くて大きなハーモニカでも装着可能な、全てのサイズ使用可能タイプ。
下写真は、ボブがタバコをハーモニカと挟んでいる(1965年頃のボブ・ディランの写真から)のと同じタイプのものとほぼ断定できる。
なお、2つのホールダー受けの板の表側には、見えにくいが、ELTONのロゴと、特許番号と特許申請年月日(上:1967云々、下:1929云々)と刻まれている。この刻まれ感!アメリカを彷彿させる、と盛り上がってしまう。
エルトン社は、ギターハーモニカホールダーと言うのも商品にしていたようだ。
上写真がそれの箱だ。なんとも絵のチープさが面白い。おそらく、この商品は、首賭けタイプに比べて、機能面において考えても、売れてなさそうである。
が、面白い写真を本屋で目撃したのだ。ビートルズが結成50年を向かえ、いろいろな関係本が飽きることなく山のようになっているコーナーで、立ち読みした本の中で、ジョンが彼のリッケンバッカーにこのホールダーを装着しようとしている写真を見つけてしまった。面白い。ちょうど、ジョンが「アイム ア ルーザー」をホールダーを使って演奏している頃である。こっちのタイプも一応使い勝手を確かめてみたのだろうか。
けれども、エルトンのような日本には決して出回ることのないものづくりメーカーが無数にある気がして、ワクワクするきっかけも作ってくれた。十数年前にいろいろな楽器店をまわって、探し回ったが、見つけられるはずがないのも納得できた。アメリカへ行かない限り手に入らないだろうとあきらめかけていたので、インターネットはすごい!かなり怖い。
ぼくにとって、インターネットはもうほとんどの役割を今回の偉業で果たしてくれた気がする。と言うわけで、ぼくのインスピレーションの源を手に入れることができた。
おかげで、ぼくの三種の神器がやっと揃っての2013年となった。心持が全く違う。これは本人にしかわからない、曲作りのような楽しい充実感である。
一体、このような思想をこのように長々文章にしてしまって、なんなんだろうか。おそらく、このようなことを追求したいがために歌を作り、歌っているのだと思う。
執着。それは想像を超えているかもしれない!
2013年やないけいを宜しくお願いします!
やないけい
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